2011年5月20日金曜日

東ヨーロッパの想い出


矢口先生が先月、ロシア(モスクワ)へ出稽古にいらっしゃった。
ロシアは新しく ISKF に加盟し、始めて行かれたのだ。
その為に毎日走りこみ、水泳をし、体重を落とし体を絞り込み、コンディショニングをバッチリ整えていた。

うう~~ん、御歳XX歳、まだまだ現役です。見習わなければ.....

「じゃ、ソ連行って来るからさ、後よろしく。」
という懐かしい国名を口に、一週間の予定で旅立っていかれた。

無事にお帰りになりどうだったか様子を伺うと、さすがに寒かったらしいが、皆さん明るくて親切で、とても楽しかったご様子です。心配されていた言葉も、日本語ぺらぺらの方がおり、全く問題なかったとのこと。
今ロシアでは日本ブームで、日本食レストランもたくさんあるし、折り紙なんかもやるらしい。
すっかり気に入られたご様子で、来年また行く、とおっしゃってました。


ソ連というと、とても懐かしい想い出があります。
1984年(昭和59年)、まだ『ソ連』で、ドイツも西と東に別れていた頃、東ヨーロッパを訪れたことがあります。
当時日本でお琴を習っていて、その時の家元(坂本勉先生)が東ヨーロッパに演奏旅行に行く事になり、20人程のグループで行ったのです。

モスクワ、東ベルリン、ドレスデン、プラハ、ブタペスト、ウィーンと回った。

当時のソ連は写真を撮るにも規制があって、赤の広場など、撮れる所は決まっていた。
日本の団地のような住居がたくさんあり、こんな広い土地があるのに何故?と不思議な気がした。
泊まったホテルは豪華で、食事も美味しかったのを覚えている。


東ベルリンでの演奏は、森鴎外の小説、『舞姫』にも出てくる、聖マリア教会で行った。
その時のお琴のポスターが、浮世絵みたいだった。
ブランデンブルク門の回りには、まだフェンスがあった。

夜はオペラを見に行った。
正装で、ということだったので、振袖を着ていった。
内容はちっとも分からなかったが、前衛的なオペラだったと思う。
髪の毛をつんつんさせたパンク系の男子が多く、熱狂的に見てた。
隣の人と劇の途中に小声で話をすると、「シーーッ」と怒られてしまった。
誰かが出ようとすると席をさっと立つなど、マナーがとても良かったのが印象に残ってる。


プラハは素晴らしく美しい街だった。
また行きたい場所、ダントツ第一位です!
デパートの中には、破れたストッキングを修理する(縫う)コーナーがあり、「ああ、社会主義なんだなー」と思ったもんです。
家元は目が不自由だったのですが、プラハに行った時カレル橋の上に立ち、モルダウ川の水を実際に手で触れ、その後『想い出のモルダウ』という曲を作曲されました。

プラハの後、ブタペスト、ウィーンと、だんだん西側に行くほどに華やかな雰囲気になっていった。
ウィーンでは、ヨハン・シュトラウスの住居を見、大観覧車に乗った。


とても懐かしい、素晴らしい想い出です。


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